バイオアートとは~生命のアートと人類の進化~

こんにちは!
今日は大学院の先端芸術原論で学んだバイオアートについてです。
ほとんど、その課題の論文を載せるだけなのですが、ご紹介します。

バイオアートとは、簡潔に言えば生命・生物そのものを表現として用いるアートです。

定義としては諸説あるものの、主な定義としては以下の通り。

「バイオ・アートとは、バイオ、つまり「生命」をメディアとしたアートとまずは言える。」

※1 美術手帖2018年1月号より

「バイオアート(BioArt)とは、生体組織、バクテリア、生体系、生命プロセスを扱うアートのこと。遺伝子工学、組織培養、クローニングなどの生物工学を利用する。」

※2 Wikipediaより

「バイオアートを最も直接的に定義するとすれば、「生きた物質(living matter)」を用いた芸術の実践、ということになるだろう。」

※3 オーストラリアとバイオアート 多摩美術大学 久保田晃弘 より

バイオアートの概念は、2000年にアメリカの現代アーティスト、エドゥアルド・カック(Eduardo Kac)氏率いる研究チームが作成した、蛍光色に光るウサギ(GFP BUNNY)を契機に人や動物といった生物そのものを使った最先端の芸術表現として急速に発展をしていきました。

「Eduardo Kac  GFP Bunny」※4Four Ways ‘Oryx and Crake’ Predicted the Futureより

その用いられる技術や方法はアーティストにより大きく異なるものの、最新テクノロジーを駆使した生物・生命を題材にした作品を通して、社会に対して「生命とは何か」という問いを投げかけていることから、今後ますます注目される分野として期待されています。

それでは、そもそも「生命」とはどのように定義されているのでしょうか。

生物学的な「生命」(生物)の定義としては、以下の全てあるいは殆どを満たすこと

とされています

・ホメオスタシス(安定的な内部環境を持つ)

・組織化(一つ以上の細胞からなる組織)

・メタボリズム(エネルギーの変換システム)

・生長

・適応

・刺激への反応

・生殖・再生

※草原真知子 先端芸術原論 講義資料より

しかし7つの条件のすべてが満たされているわけではないケースもあり、完璧な定義は存在しないようです。

生命とは定義すら完全には分かってはいない、それ故にアートによる補完・発想が生まれやすい領域であり、メッセージ性が高く現われる作品が多いと言えます。

例えば2018年に開催されたバイオアートの展覧会「2018年のフランケンシュタイン」に出展された作品では

「ヘザー・デューイ・ハグボーグ Stranger Visions」※5美術手帖 REPORT 2018.9.8より

「街角に落ちている髪の毛やタバコの吸い殻からDNAを採取し、落とした本人の顔を復元するヘザー・デューイ=ハグボーグの《ストレンジャー・ヴィジョンズ》は、自分でも気づかぬうちに周囲に撒き散らしているDNAから、性別、祖先、目や髪の色といった外見の情報、将来の病気のリスクなど、ときに本人さえも知らない個人情報を引き出せることを2012年に示唆した。この技術は、「DNAスナップショット」と呼ばれる犯罪捜査ツールとしてアメリカの国防総省の開発支援の元、既に実用化されており、その意味では、DNAによる監視と遺伝子決定論に支配された未来の「生政治」は現実のものとなりつつある。」

※6 GYRE 2018年のフランケンシュタイン より

街角に落ちているゴミに付着したDNAから、その気になれば外見の情報など、個人情報を引き出せる程の科学技術の進歩に伴う「遺伝子監視社会」に対する警鐘とも思われる作品や、

平野真実「蘇生するユニコーン」※5 美術手帖 REPORT 2018.9.8より

空想上の生物である「ユニコーン」を臓器や骨格、皮膚や筋肉も含めて制作し、呼吸させることによって生命の構築、蘇生の可能性を表現し、科学技術の進歩によって空想が現実となる時代になりつつあることをテーマとした作品など、多岐に渡ります。

冒頭のGFP BUNNY(アルバ)も遺伝子組み換えによってクラゲの緑色蛍光タンパク質(GFP)の遺伝子を接合されたウサギでした。元々は1997年に日本の大阪大学ががん細胞を研究しやすくするという目的で光るマウスの育成に成功していますが、アルバを研究とするか芸術とするかどうかは当時も論争があったようです。

生命・生物を用いた、あるいはテーマにした作品は見る側の倫理観によっては不快に思われることもある、タブーに近いテーマであると言えます。

しかしそれ故に生命とはなにか?人間とはなにか?科学とはなにか?といった哲学的な議論が生まれます。その議論も含めてバイオアートの魅力であり、アートであると言えます。

アートとは古来から神への信仰心として具体的な象徴を描くために発展してきました。

そして現代アートにおいては、その作品を受動的に鑑賞するだけではなく、「アートとは何か?」「この作品は一体なんなのか?」と受け手側が能動的に思いを巡らせることにより作品が完成されます。

生命こそが神が創った究極の芸術と捉えるのであれば、現代アートにおいて生命や科学に対する哲学的な議論を巻き起こすバイオアートの発生は必然であると言えます。

そして科学技術の発展には、必ず倫理観の壁がつきまといます。バイオアートはその壁を乗り越えるかどうかといった議論を私たちに投げかけます。

つまりバイオアートとは、科学技術の発展と、倫理観との葛藤で揺れる人類の心に問いかけるものであり、人類の一歩先の進化を想像するために必要なステップであると言えるのではないでしょうか。

「その先」へ行くかどうか、行っていいのかどうかをアートとして表現し、私たちは想像するのです。

「コンピュータを用いたニュー(デジタル)メディアアートが物質と情報を一体化したように、21世紀のニューメディアアートとも呼べるバイオアートは自然と文化を一体化する。それを科学と呼ぶか芸術と呼ぶかなど、もはやどうでも良いことに違いない。」

※3 オーストラリアとバイオアート 多摩美術大学 久保田晃弘 より

久保田氏が言うようにバイオアートは創作活動であり、研究活動でもあります。科学と芸術の垣根を超え、人類の生命への好奇心、欲求を満たしながら、科学技術の発展の一歩先を想像し、その可否を含めて議論を巻き起こしていくでしょう。

そうして少しずつ人類の進化の可能性を広げるため、バイオアートは今後もより一層発展し、世界的に議論を巻き起こしていくのだと思います。




以上が、まるまる私の研究課題だったわけなのですが、バイオアートという概念に非常に興味を持ちました。

動物愛護の観点や生命倫理の観点から議論はかなり巻き起こる分野であると思います。故に、その議論こそが生命とは何かを考える契機になるのではないでしょうか。


調べてみると結構衝撃的な作品の数々です。。。

https://note.com/jaxa/n/na1f4dc868a45


https://media.thisisgallery.com/20206397

ご興味がある方は是非調べてみてください。

それではまた!!!






■引用文献・画像出典(URL)

※1 https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/10011

※2 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88

※3 http://australia.or.jp/culture_old/articles/akihiro_kubota/

※4 https://www.sciencefriday.com/articles/four-ways-oryx-and-crake-predicted-the-future/

※5 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/18425

※6 https://gyre-omotesando.com/artandgallery/bioart/

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